大判例

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名古屋高等裁判所 昭和63年(う)353号 判決

本籍並びに住居

愛知県海部郡佐織町大字勝幡字塩畑二五二〇番地

会社員

伊藤清隆

大正一五年六月六日生

右の者に対する所得税法違反被告事件について、昭和六三年九月一四日名古屋地方裁判所が言い渡した判決に対し、被告人から適法な控訴の申立があつたので、当裁判所は、検察官山岡靖典出席のうえ審理をして、次のとおり判決する。

主文

本件控訴を棄却する。

理由

本件控訴の趣意は、弁護人瀧川治男名義の控訴趣意書に、これに対する答弁は、検察官山岡靖典名義の答弁書に、それぞれ記載されているとおりであるから、ここにこれらを引用するが、本件控訴趣意の要旨は、原判決の量刑が重過ぎて不当である、というのである。

所論にかんがみ、記録を調査し、当審における事実取調の結果をも参酌して検討するに、証拠に現れた被告人の性行、経歴をはじめ、本件各犯行の動機、態様、罪質等、とくに、本件は、「丸越」の名称で体育衣料の製造卸売業を営んでいた被告人が、自己の所得税の一部を免れようと企て、売上の一部を除外するなどの方法により、昭和五九年度分より昭和六一年度分までの実際の所得総額が合計一億七四七四万八五五円であり、これに対する所得税総額が八六四一万三二〇〇円であるのに、昭和六〇年三月から昭和六二年三月までの間各年度毎に三回にわたり津島税務署長に対し、所得金額が合計五〇一二万五二六二円であり、これに対する所得税額が合計一四〇四万六九〇〇円である旨の虚偽過少の所得税確定申告書を提出し、正規の所得税額との差額合計七二三六万六三〇〇円を免れたという所得税法違反罪の案件であるが、被告人は、三年間にわたり継続的に脱税行為に及び、その脱税額も合計七二三六万余円の巨額にのぼり、その脱税率が平均八三パーセントを超え極めて高いこと等を総合考察すると、その犯情は甚だ芳しくなく、被告人の刑責は軽くないのであつて、被告人を懲役一年二月及び罰金二一〇〇万円に処し、右懲役刑の執行を三年間猶予した原判決の量刑は、まことにやむを得ないところであつて、相当として是認するほかなく、所論のうち、被告人が昭和六二年一一月までに右各年度毎の所得税修正申告書を提出して納税を了し、延滞税及び重加算税合計二三〇八万九二〇〇円についても、昭和六一年度源泉所得税国税還付金で一部充当したほか、被告人振出にかかる名古屋国税局大蔵事務官宛の昭和六四年一月を満期とする約束手形二通で全額納付する予定であること、被告人は、現在「丸越」の経営から引退しており、これまで前科もないこと等、肯認し得る被告人のために酌むべき諸事情を十分に斟酌しても、原判決の右量刑が重過ぎて不当であるとは認められない。

論旨は理由がない。

よって、本件控訴は、その理由がないから、刑事訴訟法三九六条に則り、これを棄却することとして、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 吉田誠吾 裁判官 鈴木雄八郎 裁判官 川原誠)

昭和六三年(う)第三五三号

被告人 伊藤清隆

右の者に対する所得税法違反被告事件について、弁護人は次のとおり控訴趣意書を提出する。

昭和六三年一一月四日

弁護人 瀧川治男

名古屋高等裁判所 御中

控訴趣意書

第一点、原判決は量刑不当であり、破棄されるべきである。

一、被告人の経歴、家庭の状況

被告人は、昭和一七年、佐織尋常小学校卒業後、終戦まで、軍事工場に勤務していたが、終戦後、兄井戸田弥一郎が経営していた手袋製造業を手伝った。昭和二三年九月妻美代子と結婚し、「丸越」の屋号で、自ら手袋製造業を経営し、昭和三二年より手袋製造業を廃業し、靴下を製造し、昭和三八年ころ、靴下製造業をやめ、佐々木スポーツの下請を始め、スポーツウェアのメリヤス縫製を行ない、昭和五四年ころから、佐々木スポーツの下請を止め、独自に、中学、高校指定のスポーツウェアの製造販売業を経営するようになった。本件当時、家族を含めて、従業員は三五名であった。家族は妻伊藤美代子、長男伊藤本章、長男の妻伊藤真知子、孫二人の六人暮らしである。

二、被告人の事業

被告人は、愛知県海部郡佐織町大字佐折字東川九五番地の工場において、「丸越」の屋号で、メリヤス製品の製造卸売業を経営し、学校指定のスポーツウェア等を専門に製造し、製品は、各学校指定の体育衣料品の納入業者へ卸売していた。

仕入先としては、生地は、高坂メリヤス、新興産業株式会社より仕入れ、これに、その他の付属品を仕入れ工場で加工し、スポーツウェアとして、ノノヤマ洋服株式会社(名古屋市)、株式会社クリヤ(岡山市)、株式会社ベストワン(京都市)、森敬株式会社(名古屋市)が主な得意先で、これを得意先へ卸売していた。

そして、妻伊藤美代子に経理事務を、長男伊藤本章に営業・外交を、長男の妻伊藤真知子に出荷受注事務を分担させ、家族を含めて、従業員三五名で運営してきた。

そして、被告人は、「丸越」の事業主として、資金繰り、従業員の採用、賃金の決定、預金等資産一切の管理運用など、事業経理のすべてに責任を持ち、事業全般を統括していた。

四、本件の動機及び経緯

被告人は、「丸越」の受取手形が、最盛期には、総額四、〇〇〇万円にも達するので、取引先が不渡を出せば銀行に対し、自己の信用もなくなるので、取引先が不渡りの危険が生じた場合、いつでも取引先に現金を持ち込み、不渡りを防止しようと考え、自己の企業防衛のため、裏金として最低四、〇〇〇万円の現金を蓄える必要があると考えた。そのため、所得税の確定申告に際し、売上の一部を除外する方法により所得税を一部免れ、裏金を蓄積しようとしたものである。

すなわち、個人企業とはいえ、三五名の従業員を擁する社会的存在である「丸越」の企業防衛のためなしたもので、被告人の自己の遊楽費を捻出しようとしたものではない。

また、脱税の方法は、一定の範囲の得意先の売上を除外したもので、単純なものである。

五、本件のほ脱所得額について

ほ脱所得額は、

昭和五九年分 金四〇、五九七、六三六円

昭和六〇年分 金四四、四〇三、二八一円

昭和六一年分 金三九、六一四、六七六円

となっているが、被告人は、昭和六一年一一月五日、青色申告を遡及して取消され、青色申告の特典である青色事業専従者給与と青色申告控除額が損金と認められなくなったため、ほ脱所得がその分増大したものである。

すなわち、妻美代子、長男の本章、長男の妻真知子の三人に支出された

昭和五九年分 金一二、六八〇、〇〇〇円

昭和六〇年分 金一三、八七五、〇〇〇円

昭和六一年分 金一五、三〇五、〇〇〇円

の青色事業専従者給与及び各年度とも金一〇〇、〇〇〇円の青色申告控除額合計金三〇〇、〇〇〇円宛が含まれており、実質的なほ脱所得は、右合計金四一、八六〇、〇〇〇円を控除したものであり、

昭和五九年分 金二七、六一七、六三六円

昭和六〇年分 金三〇、二二八、二八一円

昭和六一年分 金二四、〇〇九、六七六円

合計金八一、八五五、六三三円となる。

六、ほ脱所得の使途

1、被告人は、厳しい業界の競争の前に、事業の競争力を高めるため、工業用ミシン

西ドイツ製のポケット付用ミシン 金九、五〇〇、〇〇〇円

ブラザー製ネーム付け二台 金二、四〇〇、〇〇〇円

ヤマト製腰ゴム用一台 金一、三〇五、〇〇〇円

立ち作業用ミシン(高場ミシン改造)二台 金二、〇〇〇、〇〇〇円

オーバーロックミシン五台~六台 金三、三三〇、〇六〇円

合計 金一八、四三五、〇六〇円

を購入し、設備投資に使用した。

2、取引先の倒産に備えるための事業防衛資金用として金五、一六七万円を預金で準備していた。

右のように、ほ脱所得は殆ど事業用に充てられていた。

その他、一部家庭用に支出しているが、自己の遊興費に費消したものは、一銭もない。

七、本件発覚後の被告人の態度

1、被告人は、昭和六二年五月一九日、名古屋国税局の査察を受けるや、本件のほ脱所得をすべて認め、国税局の査察に全面的に協力した。

2、昭和六二年一〇月六日、国税局の査察の結果に基づき、

昭和五九年分所得税修正申告分 金二三、八一一、三〇〇円

昭和六〇年分所得税修正申告分 金二六、一八四、六〇〇円

昭和六一年分所得税修正申告分 金二二、四〇五、一一一円

合計 金七二、四〇一、〇一一円

の本税を納入した。

また、それぞれの年度の所得税修正申告書は、昭和六二年一一月一六日、所轄の津島税務暑長に宛提出した。

なお、延滞税は

昭和五九年分 金三、七六六、五〇〇円

昭和六〇年分 金二、七一四、四〇〇円

昭和六一年分 金九二七、三〇〇円

合計 金七、四〇八、二〇〇円

であり、

重加算税は、

昭和五九年分 金五、三一〇、〇〇〇円

昭和六〇年分 金五、八一四、〇〇〇円

昭和六一年分 金四、五五七、〇〇〇円

合計 金一五、六八一、〇〇〇円

であるが、うち金一、二七一、一〇〇円については、昭和六一年度源泉所得税国税還付金三、八五四、一〇〇円のうち、金一、二七一、一〇〇円を充当されている。残余の昭和五九年、六〇年、六一年延滞税合計金七、四〇八、二〇〇円と昭和五九年、六〇年、六一年重加算税一四、四〇九、九〇〇円合計二一、八一八、一〇〇円については、名古屋国税局徴収部係官と接渉のうえ、昭和六三年七月七日、昭和五七年分金八一一、一〇〇円、五八年分一、六六七、一〇〇円、延滞税合計二、四七八、二〇〇円と合わせて合計金二四、二九六、三〇〇円として、約束手形金額二〇、〇〇〇、〇〇〇円と金額四、二九六、三〇〇円、支払期日昭和六四年一月二〇日、支払地海部郡佐織町、支払場所株式会社大垣共立銀行佐織支店、振出人被告人の約束手形二通を振出し、名古屋国税局歳入歳出外現金出納官吏大蔵事務官堀澤治殿に納付の委託をなし、納付し、納付受理を経ている。

すなわち、本件修正申告本税については、すべて現実に納付を終了し、本件の被害は回復されている。

また、重加算税の一部については、源泉徴収税還付金を充当され、残余の重加算税、延滞税については、徴収係官の承諾を得て、約束手形を差入れてあり、明年一月二〇日には、手形決済により完済され、本件による国庫被害は全て確実に回復される。

3、右のように被告人には延滞税のみならず、高率の重加算税が課せられ、自ら招じたこととはいえ、相当過酷な経済的制裁を受けているし、また、本件査察により、既に営業的にも社会的にも相当の打撃を蒙り、社会的制裁を受けている。

4、被告人自身、本件を身にしみて反省し、後悔している。

八、被告人は、本件発覚後、責任を感じ、自己の個人経営の「丸越」の経営から引退し、長男に引き継ぐことを決意し、長男の伊藤本章をして、昭和六二年六月三日、有限会社丸越を設立させ、同人がその代表取締役に就任した。被告人には、今後は、再犯の虞は全くない。

九、被告人には、前科、前歴はない。家庭にあっては、妻子思いであり、また、仕事場にあっては、従業員思いの事業中心の仕事ぶりであり、従業員はもとより、取引先からも人柄から信頼されており、地元では、消防団の役員として地域住民からも親われてきた。

一〇、本件は、田舎のメリヤス製造者が急速に成長したため、その事業防衛に急な余り、犯すに至ったものである。

今後は、被告人は、個人事業を有限会社にし、長男にその経営を委ねたし、また、被告人の妻も今後十二分に注意し、監督する旨、誓約している。

一一、以上のような、被告人の経歴、本件の動機、本件後の状況、本件発覚後の捜査協力、本件の被害回復状況、本件により、既に経済的にも社会的にも相当制裁を受けていること、本件を深く反省し、後悔し、再犯の虞のないこと等諸般の事情を考慮すると、被告人を懲役一年二月、執行猶予三年、罰金二、一〇〇万円に処する旨の原判決の量刑は荷酷に過ぎ不当であり、破棄されるべきであり、そして、罰金刑を軽減賜わりたい。

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